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アルバムを漁る日々が続いている。記事のネタを探すためだ。

 

「履歴書には書けない過ち」である。ありがたいことに平々凡々な人生を歩んできたので逮捕歴も補導歴もない。警察にお世話になるなど道に迷ったときくらいである。このお題にペンが止まるのはもはや宿命であった。それでも何か書かねばならぬと、しばらく壁に向かって自分の半生を呟いたり、とにかくノスタルジーに浸る努力をした。なんだか有意義な日々であった。

 

そうして完成した事件簿年表が、これだ!

 

小1→タオル掛け破壊事件

家にあるタオル掛けで鉄棒遊びを試みるも失敗。破壊。親の追及には最後までしらを切り通す。

 

小5→テスト確認捏造事件

学校の規則で全てのテストに親のサインが必要だったのだが、悪い点を叱られるのが嫌でサインを自筆。

もちろんバレた。

 

中2→血濡れ雑巾事件

話すと長い。

 

中3→校長室トントンダッシュ未遂事件

文字通り。

 

高3→受験会場爆睡事件

不可抗力。てへぺろ(^ω^)

 

大1→ガンプラ・プラトーン事件

部室のガンダムプラモデルがいつの間にか映画「プラトーン」で有名な空を仰ぐ姿にされている怪事件。

5回中3回くらいは私のしわざ。

 

結論:しょぼい。

 

しょぼい。あまりにしょぼい。はたして19年間の過ちの密度がこの程度と言うのは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。ただひとつ、血塗れ雑巾事件は今でも心にひっかかる事件であった。そろそろ精神的にも時効であるし、しょぼい経歴を書いただけで記事を終えるのも抵抗があるのでこの機会に洗いざらい告白してしまおうと思う。

 

クリスマスも間近な中学二年生の冬、悲劇は起こった。

 

私の通っていた中学はミッション系の女子校で、毎年クリスマスの時期にはミサと奉仕活動が行われる。この奉仕活動とは、学年ごとに何かを手作りし老人ホームなどに寄付するというもので、中二は手縫い雑巾を作るのが例年の決まりであった。たしかノルマは2枚だったと思う。タオルをなみ縫いするだけの簡単なお仕事である。みんな和気あいあいと作業を始めた。

 

さて、当時の私、井上充恵、14歳は大変な不器用であった。「縫うのが遅い」と言うのはちょっと不器用な人の些細な悩みである。甘えである。大変な不器用はまず糸通しができない。つまり私は糸通しができない!!スタートダッシュが遅れれば無論、その後の行程も大幅に遅れる。周りが次々と雑巾を完成させていくなか、私はまだ一枚目の半分に差し掛かったところだった。

 

さて、当時の私、井上充恵、14歳は、なんと性格も不器用であった。おまけに不器量・・・やかましいわ。とにかく縫い終わった雑巾は黒板前の教卓に提出しなければならない。不器用な私的には、雑巾をビリッケツで提出するような目立ち方をしたくなかったし、また、そういう事態になったときにどう振舞えばよいのかも分からなかった。冷やかす奴がいるという確信がある。中2とはそういう時期だ。なので焦る。不器用が焦って縫いものするとどうなるか。これはかなりの確立で指を刺すという結果に終わる。私もそうであった。ここまででもツイてなかったが、さらにツイてないことに地球には重力があった。ニュートンの発見した偉大な真理に従い私の血は直下の雑巾に付着した。

 

ここまでの状況を整理しようと思う。私は誰でも出来る雑巾縫いで大きな遅れをとった上、流血沙汰というなんか間抜けな状況にいた。思い返すとこっそり先生に報告すればどうとでもなった事柄である。しかし当時の私はパニックだった。後から考えると「どうしてこんなことしたんだろう?」というのがパニック時の行動である。

 

そういうわけで、どうしたか。私は何食わぬ顔で雑巾を提出した。

 

奇跡的にバレなかった。二枚目も早々に作業を終えた友人の手を借りて完成し、ビリを免れた。しかし、いまでも時々思うのである。はたしてあの雑巾を手にした人はどう思うだろう。

 

鮮血に染まった雑巾を見てまさか私の状況を理解できる人はいるまい。ただのホラーである。嫌がらせである。おそらく老人ホームに勤める善良な職員さんが手にしたのだろう。さぞかし気持ち悪かったことであろう。罵倒したくもなったろう。申し訳ない。実に申し訳ない。私だって土下座したい気分である。でも当時の私はさっき書いたようにパニックだったし、さらに言い訳すると思春期だったんです。

 

だからなんかもう、ほんと、ゴメンナサイ。